実体験で得たことを実践しようという話。

実体験で得たことを実践しようという話。

こんにちは。利用者の苺です。
いつも本を紹介しているわたしですが、今回は違う話題です。
ただ単にわたしが思ったことを書いただけで、課題だから書いてきたけど、
これでいいのかなー、と思っていたのですが、いいということなので打ち直しています。
それにしてもパソコンって面倒ですよね。
ブログの記事は家で書いていて(文章を書くことはやめろと脅されてもやめずに
自主的にやるけど、自信をつけるために資格をとるのはどうかとすすめられ、
ずっととりたいと思っていた日本語検定の勉強は、やったらご褒美に五百万円あげると言われてもやらなさそうで、やらなさそうなことを事業所でやることにしているため)、父がくれたUSBに保存していますが、もしかしたらウィルスに感染しているかもしれないそれを持ってきて事業所のパソコンで使うわけにいかないんですもんね。ワープロのフロッピーならそんなことなかったと思うのですが。
そもそもウィルスという言葉で倒れそうになる。

パソコンが病気になるの?

 さて、毎度長い前置きを終わらせて、本題です。
 今回のお話は、世の中、わたしの場合は本でよく書かれていて、それが当たり前だと考えられていることがあっても、実体験としてそれと真逆のことのほうがよいと思えばそちらを優先しようというお話です。
 わたしが世間で言われていることの逆の方法をとるようにしたのは入浴法です。
ご存知のかたもいらっしゃるかと思うのですが、良質な睡眠をとるための方法が書かれた本では、「入浴は寝る一時間くらい前に済ませる。ぬるめの38度から40度の湯温の風呂に15分から20分くらいつかると、深部体温があがってそれがさがると眠くなる。また、副交感神経が優位になることもよい。
42度以上の熱い風呂に入ると、交感神経が優位になり、眠れなくなる」と書かれています。
最近、どこの本屋でも見かける睡眠の本がありますが、それを立ち読みしたらおなじことが書いてありました。
これが良質睡眠界(適当に作った言葉)における常識。
主治医に「最近は43度の風呂に入っている」と言ったら驚かれて、「高血圧じゃないから構わないけど、せめて41度くらいにしたら」と言われても
聞く耳を持ちません。
だって、そのほうが体調がよいし、時短につながるんだもん。
そもそもこの入浴法に行き着いたのは、自分が貧血であることが判明したことと、今年が酷暑であったことが重なるという偶然あったからでした
(スピリチュアルな世界だと、「世の中に偶然はありません。すべて必然なのです」とか言い出されそう。特に嫌いではないけど、なんか言いかたが面白いと
思う)。
 貧血だと判明して鉄の薬を飲みはじめたわたしに起きた第一の変化は、
いくら温めても温まらなかった二の腕が温まったこと。
この腕の冷たさは、わたしが解決したい体調の悩みの第一位に入っていました。
ストレッチしても、自分でマッサージしても、お風呂に入っても冷たくして仕方がなかったのに、鉄の薬を飲み初めてから、全身に血が巡る感覚があり、
どんどん温かくなりました。
腕が冷たいというのは、貧血の症状らしいのです。
わたしが貧血だと分かってから母が見てくれた貧血についてのテレビ番組で言及
されていたそうです。
爪もそるそうです。わたしも爪が弱く、鉄の薬を飲みはじめて三カ月が経とうと
するころ、母に「苺ちゃんが爪切っているとき音がした」と言われました。
切っても音がしなくて、わたしが母はいつ爪を切っているのか知らなかったそうです。
とにかく腕がぽかぽかでうれしかったわたしに次に訪れたのは、風呂に入った後、汗が噴き出してくるという試練でした。
わたしは風呂あがりに暑くなることがなく、両親がパンツ一丁で暑い暑いと騒ぎながら風呂あがりに家をうろついている姿を見て、「奴らは年寄りだからかな」と思っていました。
 ごめんなさい。それは間違いでした。わたしも鉄の薬を飲みはじめて間もなく、風呂上りに暑くなり、汗が引かないので、パンツ一丁でいるしかなくなっていました。
そして思ったのです。
こんなふうに暑くなるなら、夜遅くにしか風呂に入れなかったり、朝にしか入れなかったりしたとき、とても困るなと。夜遅くなら汗がとまるまで眠れませんし、朝なら時間が準備の時間が足りなくなります。
 そこへ、今年の酷暑がやってきたのです。
それによってわたしの体調が改善を見たので、その点だけに関しては、酷暑に感謝してもいいかもしれません。
今年のような酷暑はもう来ないで欲しいですが。あれは二度と訪れずに宇宙のかなたに消えてくれと願っています。
今年、わたしは40年間生きてきて、夜眠るときにずっと冷房をつけたままにするという状態をはじめて体験しました。
今までは2時間くらいのタイマーをかけて切っても眠れていたんですよね。
今夏はかけておかないと眠るどころではなく、日中もずっと冷房をあび、冷房の中にいないのは歩いているときくらいでした。
 その結果、体は冷えきり、体調がおかしくなりました。
冷えているから具合が悪いのだと気付いたとき、どうするか考え、ものすごく熱い風呂に入ることにしたのです。
冷えをその日のうちにとるために入浴時間は寝る数時間前。
就寝前にぬるい風呂に入ると副交感神経が優位になることも、熱い風呂に入ると交感神経が優位になることも知っていましたが、そんなことは知ったことではありません。
そもそもわたしは風呂が嫌いなのです。
SF小説にあるような、カプセル状の物体の内部に入って、ボタンを押すと体が
きれいになるというような機会が発明されないかと熱望するほどで、
いくら体が冷え切っていて調子が悪いのだとしても、ぬるい風呂に15分以上も
つかっていてはストレスで気が狂います。
せっかく体調がいいのに、精神疾患を悪化させるわけにはいきません。
 というわけで、どうしても駄目だったらそのとき考えるということで、43度の
風呂に入ってみました。
今まで暑い風呂に入ったことはありません。
旅行で行った温泉があまりにも熱く、さっさとあがろうとしたわたしに、一緒に
いたくそ婆こと曾祖母がもうあがるのか、もっとつかれと言ってきて、
人の勝手じゃないか……と感じたことを思い出します。
あのときは腹が立ちましたが今回は我慢してつかります。
思い出したついでに、極楽で仏に生まれかわって、つきものが落ちたように優しくなっているであろう曾祖母を想像します。
まあ、わたしは曾祖母より、その娘の祖母(母はこの人の娘)に言いたいことが山ほどあるのですが……。
ちなみに、浄土真宗なので、曾祖母が仏に生まれかわっていると断言しました。
 まあそんなことはどうでもよくて、温まったと感じたので湯船からあがります。
体を拭いて、40度の風呂に使っていたときとの体調の違いがあるかどうかを確認します。
そして、なぜでしょう、汗が噴き出してきません。温まったのに、暑くない。
汗が出ないのですぐに寝間着に着て、涼む必要もないまま、布団に横たわると、間もなく眠りにつきました。交感神経がどうのという情報は頭から消えていませんでしたが、実感することはありませんでした。
 体が温まり、かつ汗も噴出さない入浴の仕方として、以後それを続けていたわたしでしたが、ある日風呂あがりにパンツ一丁で扇風機の風を浴びている母に、こうしないと汗が止まらないと言われました。
そういえばわたしも貧血が治りかけていたとき、お母さんとパパのように汗が噴き出すようになっていたよね、と切り出し、わたしが汗が噴き出さないのは若いからで、二人は年寄りだからなんだろうね、といったことをメンゴ☆と謝っておいて、入浴法を買えたら汗が噴き出さなくなったと説明しました。
 そのとき、母は帰宅直後にシャワーを浴びただけで、その数時間後にちゃんと入浴した際、わたしの真似をして熱い風呂につかったそうなのです。
風呂から出てきた母は、台所でご飯うまうまと食事をしているわたしに、すごい、汗が噴き出してこないよ!とよろこびの声を上げました。

その後、その入浴法を続けている母は、よく眠れるようになったと申しています。
 母の役に立ったのもいいのですが、やはり、いくら本が好きで、そこからいろんな知識を得ているのだとしても、それをうのみにしてはいけないのだと思いました。
そもそも本には真逆のことが書いてあることもあって、そういう情報ならどちらでも好きなほうでいいのだろうと容易に判断がつきますが、今回の入浴法のように、おしなべておなじことが書いてある場合、ほかの発想が出にくくなるような気がしました。
どこかには熱い風呂の効用を述べてある本(なり、テレビ番組なり)があるのかもしれませんが、朝に目を覚ますためには熱い風呂がよいとあるのですが、夜寝る前に暑い風呂でよいと書いてあるものは読んだことがないのです。
分からないことを調べることは必要だし、そこで知ったことによってあたら棚道が開けることもあるでしょう。
けれど、調べたことによって得た情報に違和感があったなら、無視したほうがいいのだと思います。
おなじように、こうしていると伝えた人(わたしの場合主治医)が、できればやめたほうがいいといったのだとしても、自分自身の感覚として、現に調子がよく、時間の節約にもなって言うことがないのなら、人の言うことなど放っておいて、我が道を行ったほうがいいと思います。
これからもわたしはそうしていくと決めています。
 他にも、知らないうちにそうだと思い込んでいることがたくさんあるような気がします。
わたしが本を読む最大の楽しみは、自分以外の人の考えを知れることだと思っています。
本に自分が考えないことが書いてあると、自分の考えを再認識できることが面白くて本を読んでいます。
そして、本から知識を得ることも楽しいのですが、その知識が自分にとってどのようなものなのか、もっと意識することが必要だと思いました。
 何か最後になって説教くさくなりましたが、今回のことで、こんなふうな考えに至りました。
 それでは、この辺で失礼します。
ご覧いただき、ありがとうございました(日本語検定を受けるものとしてこの敬語が正しいのか気になる……。まだ勉強中)。